カネヤマ果樹園 雑記帳<三代目のブログ>

 松本は、西郷孤月や草間彌生くらいしか地元出身の著名な美術作家がおらず、また縁の画家もいないことから、残念ながら大した美術館はありませんでした。

 一方県内には、東山魁夷館を併設する長野県信濃美術館。そしてそれぞれの出身地では、菱田春草を生んだ飯田(残念ながら地元には収集品は多くありません)や、小山敬三美術館のある小諸、そして原田泰治美術館の諏訪、そして碌山館のある穂高(安曇野市)。また収集家縁の諏訪の北澤美術館や長野市の水野美術館、更には岩崎ちひろ美術館や無言館など多くの美術館があるのに比べると、松本は些か淋しい感は否めません(因みに、日本でも有数と言われる酒井コレクションを収蔵する日本浮世絵博物館もあるのですが、残念ながらロケーションが良くありません)。
ただ、8年前、松本市美術館が市民芸術館と対面する形で建設され、時折り興味ある展覧会が開催されるようになりました。
 今回は、国宝こそ来ていませんが、東京の出光美術館が所蔵する重文2点を含む所蔵品が松本市美術館で移動展として特別展示されており、家内を誘って見に行きました。
ただ見るだけでは勿体ないので、期間中の土日に行われるという学芸員さんの展示品の解説を聞きながら鑑賞することにしました。

 14時からの「トークギャラリー」と題しての解説には、老若男女合わせて20名くらいの市民の方々が集まりました。

 美術館の学芸員の方の解説で、出光美術館名品展として今回出展された、60点余りの展示品のうち、20点あまりを1時間ほどかけて直接解説いただき、その後じっくりともう一度個別に見て回りました。
当日解説を担当された女性の学芸員さんは、まだお若いのに一生懸命に、その人柄が滲み出るような真摯な説明をいただきました。
宗達、北斎、蕪村、定家、仁清などの作品が並ぶ中で、個人的には、藤原公任の筆と伝えられる平安の王朝文化華やかな『石山切「伊勢集」断簡』の見事な書に一番惹かれました。
その後、駆け足で常設展も見て回り、何とも贅沢な時間を過すことが出来ました。因みに同特別展は9月5日まで開かれています。

 写真は、洋芝が気持ち良いパティオ(周囲にせせらぎが作られていて、時々子供たちが水遊びに興じたり、芝生に寝っころがっています)と、その奥にある「ビストロ・サンチーム」(地元産の食材に拘り、自家製パンも美味しい“穴場”です)。早々に見学を切り上げた奥様は、私を待つ間一人でケーキを食しておられた由。「“華”より団子」で美味しかったそうです。
そして、正面近くの前庭に置かれた草間彌生のオブジェです。

 まだまだ暑い日が続きますが、さすがに信州では朝晩は涼しくなり、巨峰の色付きも増してきました。

 今年は、初めての試みとして、毎年リンゴのご注文をいただいているお客様に、巨峰のご案内を差し上げましたところ、早速のご連絡をいただき、ご贈答用、ご自宅用とも予定数に達することができました。
ブログを借りまして御礼申し上げます。どうもありがとうございました。

 梅雨明け後、日照り続きのため、何回か潅水をしました。
どうやら、例年同様の玉伸びと房になったようで一安心。
リンゴ同様、土壌のお陰で、ブドウも糖度が高く、JA(農協)の出荷基準は、巨峰は16度以上ですが、例年20度前後になります。
 今年は猛暑で、いつまで経っても夏が居残っているような日本列島ですが、自然は確実に足踏みしながらも夏から秋へ向かっています。
あと2週間もすれば、出荷できそうです。
写真ですが、信州の秋の味覚をお届けします。

 信州(松本などの長野県中部?の方言)では、「いただきます」の対で、「ごちそうさま」よりも「いただきました」の方が一般的・・・でした(最近の若い人たちは?)。

同様に、「行ってきます」に対しては、「ただいま」(本来は「只今帰りました」の筈ですが)ではなく「行ってきました」とも。

何かおかしいのでしょうか?

 学生時代。大学のクラブ(合唱団)の栂池での夏合宿。
食堂に集まって、食べる前に「いただきまーす!」と声を揃え、食べ終わった時の挨拶に、「いただきました!」と(我々信州人が)発声したら、他県出身者からは一斉に「おかしい!」と非難されました。

 そうかなぁ・・・?言葉としては、「○○します」と言ったんだから、その結果「○○しました」は、至極理に叶っていると思います、がね・・・。

 二週間ほど前、一泊での出張から夜戻ってみると、何やら大きなダンボール箱の宅配便が届いていました。

「何コレ?」
「夜、一人でTVショッピングを見てたらね、フードプロセッサーが安くて凄く良さそうだったので、買ったの!」
「微塵切りとか、千切りとか、色んなこと出来るんだヨ。もう、長芋なんか、手を痒くして摩り下ろさなくても大丈夫だから、ネッ!」
「フ~ン、あっそう・・・。そりゃ、どうも」
      
 家内が早速箱から取り出して見ています。アメリカ製とのこと。
「へぇー、意外と小さいんだ。それにしちゃ、エラクまた大きな箱に入れてきたもんだなぁ。無駄じゃん!」
「・・・二つ・・・買ったの・・・」
「ふったつーぅ!?」
「二つ目は更に安くなるからね、子供たちが欲しければあげればイイかと思って・・・。」
「はぁ、ナルホド・・・」

 翌日の土曜日の夕食。早速、家内はフードプロセッサーを使って調理です。
ハーブガーデンから摘んできたバジルは、バジルソースに。そして、ニンニクの微塵切り、大根おろしと大活躍です。ほほぉ、なかなか・・・。

 その大根おろし・・・。
「これってさぁ、スムージーと言うか、何だかクリームみたいで、大根おろしっぽくナイんだけど・・・」
「うーん、アメリカには大根おろし、無いからネー!」
「そな、アホな・・・。調整目盛りとか、無いの?」
「うん、アメリカ製だからネー、アバウト!」
「・・・・・」

 いつもは、TVショッピングなど注文したことのない家内です。
はまって変なモノが家の中に溢れぬように、どうも一人にしない方がイイようです・・・!!。

【追記】
 お盆で戻った子供たちに、家内は早速「これ、すっごく便利よぉ~♪」とTVショッピング張りの勧誘ですが、二人とも「いっらなぁーい!」とにべもありませんでした。タハ・・・。
 そして、その日の夜。ミンチではなく、わざわざ和牛の小間肉を買って来て、粗引きで作ると言っていた“本格”ハンバーグ。
 夕飯の食卓には、ナゼか“クリーミーな”ハンバーグが並び、皆(私メ以外は)「うん、美味しいよ!」と食べていました。みんな、優しいなぁ・・・。

 お盆休み中の14日。明日には次女が帰京すると言うので、せめてどこかに連れて行ってあげようと、この日は小ドライブです。

 “彼女的”にはアウトレットのある軽井沢辺りでしょうが、この時期軽井沢周辺はとんでもない大渋滞の筈ですので、白馬村へ。ナナを連れて、ドッグランかドッグカフェへ行くことにしました。

 生憎の曇り空で、白馬三山はおろか、全く山は見えず、仁科三湖の辺りから少し雨模様です。そう言えば、ナナは“雨犬” (第128話参照)でした・・・。

 白馬手前の「みそら野ペンション村」へ。ここにテラス席でワンコOKのレストランが(ネット検索で)あるとのこと。
しかし、あるべき所に見当たりません。そこで林間のみそら野の中を走ってみると、あちこちのペンションやホテルが閉鎖されています。何とも寂びれた感じがして、驚きました。スキー客が激減していることは聞いていましたが、ある一角などまるでゴーストタウンの有様で、想像以上です。
 一軒の石焼ピザのレストランがあり、ここは満員でしたが、ちょうどテラス席が空いたので覗いてみると、ピザがサーブされるまでに1時間待ちとのことで諦めました。
代わりに、白馬エリアでペットOKの施設案内のパンフをいただき、その中から白馬森上の先の、国道沿いのレストランまで行ってみることに。

 何となく場所と建物に記憶があったので、結構古くからあるレストランのようです。その名は『キッチン・シェフ』。
ここには、ハルというブラックコーテッドレトリバーの看板犬がいるので、テラス席以外の室内もペット同伴可というレストランです。そのためか、店内は満席で、テラス席が一席だけ空いていて、なんとか座ることが出来ました。晴れていれば、テラス席からは白馬三山が望めるとのこと。

 早速、ハルがお出迎えです。お隣のカップルのお客様も、ナナと良く似た毛並みのオスのシーズーを連れられています。
また、途中お帰りの関西方面からのご家族連れもやはり同様にシーズーで、ナナを見かけてわざわざこちらまで戻って来られて、暫しシーズー談義。
殆どのお客様が、県外からの観光のようで、皆さん犬をお連れです。
白馬は、軽井沢に比べて、こうした施設が少ないのかも知れませんね。こちらでは、ご自慢のピザと、パスタをいただきました。家内と娘は、私が注文したピザを絶賛していました(代わりに私がパスタをいただきました・・・)。

 それにしても、白馬の、特にみそら野の寂びれ様にはビックリです。白馬へは、子供が小学生の頃までは、スキーや、夏も毎回決まったホテル(『樅の木』)へ来ていただけに、
「自分達の若い頃の思い出までが無くなったようで、何だか切ないね・・・」
とは家内の弁。

 冬のスキーシーズンには、白馬もオーストラリアや韓国など、海外からのスキー客誘致に力を入れているようですが、白馬三山を従えた自然の雄大さ、豊かさでは決して軽井沢に負けませんし、長野オリンピックも開催されてブランド力もあるだけに、アウトレットと新幹線だけの差とは思えませんので、何とか頑張って欲しいものです。

 お盆休み、娘たちが揃って12日の高速バスで帰省してきました。

会社帰りに松本駅で合流。幸いにも、渋滞は殆ど無かったとのこと。彼女達のために波田のスイカを買いました。

 さて、慌しく翌日には仕事で帰京するという長女のご要望で、その日は、久し振りに『食蔵・バサラ』へ。と言うより、子供たちが帰省した時に行く、我家の特別なレストランという感じになってしまい、その無沙汰を指摘されてしまいました。どうもスイマセン。
 この日のお通しは、柔らかな自家製薩摩揚げ。娘に半分取られてしまいました。そして、すずきの和風カルパッチョに始まり、相変わらずの美味しい料理を堪能しました。満員の盛況で何より。もうPRも必要なさそうです。

 そして、翌日はおやきの『さかた』へ行って、帰京する長女のためにお土産を購入。
おやきを買い求める観光客で一杯です。昼過ぎだったため、もう三種類しか残っておらず、持ち帰りと、後日の宅配を注文。夏季限定のナス味噌は、既に売り切れで、持ち帰りのみのため、今回も購入出来ず。
 それから、お蕎麦を食べたいという娘たちのリクエストに応えて、『安曇野・翁』へ。
時間節約で高速道に乗り、豊科ICから池田町に向かいました。途中道路が県外車で混んでおり、着いたのが14時近く。観光シーズン真っ只中で、まだ店の外まで結構な行列が出来ていて、駐車場も県外車で満杯でした。待つこと暫し。

さて、更科でいつものおろしそば(辛味大根)とざる、子供たちは鴨せいろを注文。追加にざる3枚もオーダー。ここは、一枚を食べ終わるのを見計らって次の一枚を出してくれます。(写真は辛味大根のおろしそば)
“土曜の丑の蕎麦は避けろ”と昔から言うそうですが、秋に比べて、夏は香りが落ちるからだとか。
でも、翁は二八ですが、やっぱりここの蕎麦は旨いなぁ・・・(家内のイチオシは『野麦』だそうですが、私はやっぱり『翁』だなぁ)。しっかりと蕎麦湯もいただいて、お腹も一杯です。

 皆揃って父を見舞った後、今年は何年振りかで全員揃っての13日の迎え盆。お墓から家に戻って、「迎え火」としてかんば(白樺の皮)を炊いてから、「おぶってお連れした」仏さまをお盆用にしつらえたお棚でお休みしてもらいます。
ご先祖様もさぞかし喜んでくれたことでしょう。

 そして、16日夕刻には、先ず家の玄関先で「送り火」をしてお墓までお送りをします。
子供たちも既に帰京し、母と、家内と三人で、そしてナナも連れてお墓まで。
「みんな、帰っちゃったね。また帰って来ないかなぁ・・・」
帰ったばかりだと言うのに、家内が呟いています。

 江戸時代から松本で続く、本来のぼんぼんの歌、
『♪ ぼんぼんとても 今日明日ばかり・・・』
今年のお盆も、足早に過ぎていきました。

 夏の甲子園もいよいよ佳境を迎えています。

 今年は終戦から65年。偶然にも8月15日終戦記念日の、恒例となった正午過ぎの黙祷のサイレンに、グラウンドに立っていた興南高校の沖縄球児たち。本土防衛のために唯一の地上戦の戦場となった沖縄に対し、“大和ンチュー”の一人としては、出来れば、紫紺に続き深紅の優勝旗も是非沖縄に渡らせてあげたいものですね。但し、既に沖縄県勢は、下手な同情無用の強豪県になっています。

 その甲子園大会開幕直前、8月5日の朝日新聞だったと思います。

 時々、スポーツ欄に辛口ながら愛情溢れるコメントを書かれている、朝日新聞現編集委員の西村欣也さんの書かれた記事(『記者有論』)が載っていました。

 それは2002年、ミスターこと長嶋茂雄さんと一緒に夏の甲子園大会決勝を観戦した時の長嶋さんの言葉が、今も印象に残るという書き出しでした。

『このトーナメントではね、優勝チーム以外の全ての球児にただ一度ずつの敗戦が配られるんです。甲子園の決勝でも、地方大会の一回戦でも、ただ一度の敗戦が、野球の神様から配られているんです。壮大なトーナメントの、大きな意義がそこにあると思うんです。つまずくことで得るものが、若者にはきっとある。』

 そんな長嶋さんの言葉を引用した後、西村さんは最後にこう締め括っています。
『グラウンドにがっくりとひざを折ったあと、立ち上がる少年たち。試合前と試合後のわずか数時間の間に彼等は成長する。スーパースターの誕生や名勝負にではなく、敗者に注目しながら甲子園を観戦するのもいい。』

 今年の夏も、挫折から立ち上がり、やがてしっかりと前を向くであろう、
甲子園の48校を含む全国4027校の若き“Good Loser”たちに、心からエールを送ります。

【追記】
遂に、沖縄県勢初の優勝で幕を閉じた今年の夏の甲子園。
第118話で書いたように、“沈黙なる贖罪”がここに完結しました。
来年からは、地元長野県を除いて、他の46都道府県と同じように、純粋に、客観的に沖縄勢を応援できると思います。
興南優勝おめでとうございます。

 既に夏至から二カ月ほど経ちますので、4時では未だ暗く、4時半頃から漸く東山が白んで来る頃です。


 少々前のことですが、8月8日の朝。いつものように4時起きして、ベランダに出ていると、東山山系の三才山(戸谷峰)越しに、夜明けと共に時々刻々と少しずつ色を変えながら、次第にオレンジ色から紅に染まっていきます。久し振りに見た見事な朝焼けでした。
思わず、携帯で撮ってみましたが、雰囲気が伝わるかどうか・・・。
 昔から、朝焼けの日は雨が降ると言いますが、お湿りが欲しいなぁ。
・・・と、その日夜遅くなって、翌日明け方までシトシトと待望の雨が降りました。

 第297話で書いた、プランターの水耕栽培とは別に、10本程の余った茎を瓶に水を入れて挿してあるだけの、もう一つのクレソン栽培。その経過報告です。

 プランターの方は、途中防虫対策前に芋虫クンたちの襲来はあったものの、対策後は湿った川砂の中で順調に株を増やし、分けつして新しく生えてきているだけではなく、茎の葉の付け根からも次々と新しい芽が生えてきています。

 一方の、瓶の方はと言えば、水の中でビッシリと発根はしているのですが、プランターのクレソンとは異なり、不思議なことに茎からは新しい芽は殆ど生えて来ず、その内に、その最初の茎も硬くなって枯れてきてしまいました。
その代わり?ビッシリと生えた根の中から、信州弁?で言えば“ジョミジョミ”(≒ゴミゴミ、続々?)とたくさんの新しい芽が密集して生え、少しずつ顔を水面の上に覗かせるようになってきました。その数軽く20~30本はあるでしょうか?まだ水の中にもたくさんの芽が出ています。
このまま、小さな芽が成長してくれるとイイのですが、プランターに比べると、成長速度が少し遅いような気がします。

 そこで、水を替える度に、ホンの数滴ですが、液肥を混ぜてあげたところ、効果があったのか、今までより伸びの早さが違ってきたような感じです。
      そして、漸くここまで伸びてきました。

 一方のプランターは、夏になって株もどんどん増えかなり茂ってきたので、もう何度か摘んでサラダとしていただきました。
 栽培としては、これまでのところは、プランター栽培の方がクレソンにはやっぱり向いているように思います。
肉料理の付け合せにするくらいだったら、瓶やコップでも十分かもしれませんが・・・。

 8月4日の早朝5時。チロルとナナの散歩です。

この日は、数日振りに田んぼ道コースへ。いつもの常連さんのワンちゃんたちとご挨拶。

何だかいつもと匂いが違います。出穂の時だけ香る、何となく甘い香り。そうです、稲穂の匂い。
ちょうどご飯が炊き上がって、炊飯器の蓋を開けた時のような、お米の匂いが田んぼ道に微かに立ち込めています。

「そんな話、お父さんからも聞いたこと無いけど・・・」と家内から。
でも、確かにいつもとは違う匂いがするとも・・・。
     
そう言う私も誰からも聞いたことがありませんが、これは紛れも無く稲の穂が出る時の匂いだと思います。この時期しか匂いませんし、その匂いもお米を蒸した時の匂いと同じですから。
じっと茎の中で待っていた稲穂が外に出て、大気に初めて触れた時に広がる大地の香りでしょうか。

 そう言えば、昨年秋、あるお得意さまから、リンゴと一緒にりんごの葉を入れてお送りしたところ喜んでいただいて、その葉が「リンゴの匂いがしますね!」というメールをいただきました。リンゴ農家も初めて知って、“目からウロコ”と驚いたことがありました。

 出穂・・・「シュッスイ」と読み、稲に限らず穂が出ることを言います。因みに、Wikipediaに拠れば、稲妻という呼び名も、この稲の出穂期に雷が発生しやすいからだとか。てっきり、(逆さまにした)稲の穂のように雷の光の筋が広がるからだと思っていましたので、なるほど!でした。
自然と農耕と人間の営みが全て関連しています。
(ネットで検索してみましたが、出穂と匂いに関する記述は見つけられませんでした。でも、絶対そうだと思うんだけどなぁ・・・?)

 ここ松本は岡田の里では8月上旬から出穂が始まり、一週間ほどですっかり稲穂が出揃いました。

 立秋も過ぎて、暦の上ではもう秋です。
とは言え、まだまだ暑い日が続きそうです。残暑お見舞い申し上げます。

 7月下旬に東京に行った際の、都内で電車での移動中のこと。

 新宿へ向かうために、神田から快速へ乗りました。
家内のために、空いていた席を勧めたところ彼女は、
「私はイイから・・・」
と若い女性に譲ってしまいました。

二人で立ちながら小声で家内に、
「オマエの方が、お年寄りジャン!」
「・・・だって彼女、“就活生”さんだから・・・」
「えっ?」

言われて見れば、確かに白いブラウスを着て手に黒いスーツの上着を持ち、きっと暑い中を駅まで急いで来たのでしょう。噴出した汗をハンカチで拭いながら、次のアポへ向かうのか、手帳を盛んに見ています。

「まるで娘を見ているようで、何だかヒトゴトと思えなくて・・・。」
「・・・、そっかぁ・・・」

 まだ、娘の大学でも、就職課(キャリアセンター)によれば6月末時点での内定率は6割だとか。女子学生は更に厳しいと言います。

 娘からの連絡に一喜一憂し、どうか希望が叶うようにと、咲く花に、神社にと、遠く離れて願を掛けて祈るしか無かった我々です。
時に落ち込んで夜中に電話を掛けてくる娘を叱咤激励してきた家内としては、身につまされるような気持ちで、少しの移動時間でも座らせて休ませてあげたいという、まるで彼女の母親のような親心だったのでしょう。
母親って偉いなぁ・・・。痛く感心した私メでした。
「みんな負けるな!」
       
 秋の内にスンナリと決まった長女の時とは違い、超氷河期の波をモロに被り、3年生の秋から6月まで半年以上にも及んだ次女の就職活動。

 幸い彼女も“就活”に終止符を打つことができました。
何もしてやれなかった親としてはホッとしながらも、第一希望では無かった彼女に、
「本当に行きたいところがあるんだったら、留年して来年またチャレンジしてもイイんだぞ!」
と、今年よりも景気も上向く筈と言った私に、
「こんなクダラナイこと、二度とやりたくないっ!」
と、日頃は甘えん坊にしか見えない彼女が、真剣に“掃き捨てた”言葉。

 確かにその通りなのでしょう。
企業の身勝手な論理と、ある意味理不尽さを、企業人の一人として、そんな学生さんたちに本当に申し訳ないと思いつつ、その間お互いに心配し励まし合ったお友達と、そして支えていただいたゼミの先生に心から感謝しながら、
「どうか、皆さんも負けずに頑張ってください!」

 この炎天下、黒いリクルートスーツを着て道行く彼女たちに、そんな想いを投げかけてあげることくらいしか出来ませんでした。

(前話に引き続き)
 展示の中では、やはり、何とも穏やかなお顔をされた法隆寺の国宝夢違観音が素晴らしく、その前から暫し動くことができませんでした。
また、同じく国宝の室生寺の釈迦如来坐像。木像で存在感ありながら優しげな眼差しのお釈迦さまです。
 そして、ひときわ存在感があったのは、アフロヘアのような頭をされた東大寺勧進所阿弥陀堂の五劫思惟阿弥陀如来坐像(重要文化財)。
落語でお馴染み『寿限夢寿限夢五劫の擦り切れ・・・』の中に出てくる五劫と同じで、もの凄く長い時間修行をされた結果という何とも大業な頭髪とは対照的な、コケシのように愛らしいお顔が印象的なこの仏さまは秘仏であり、年に一度だけ開扉される10月5日にしか東大寺でも見ることが出来ないのだとか。特別展ならではで、ありがたいことです。
そして最後に、唐招提寺の如来形立像(重要文化財)。お顔と御手が無く、まるで古代ギリシア彫刻を思わせるような美しい仏像ですが、残念ながら27日からの展示とのことで、この日はお会いすることは叶いませんでした。
(写真は特別展のチラシです)

 不思議なことに国立博物館の特別展などとは違い、それほど混むことも無く、少し待てばゆったりと、またじっくりと御仏たちと正対させていただくことができました。
おそらく仏像の展示に合わせて、絵画展などよりもやや照明を落としたであろう館内は、美術品や文化財を鑑賞すると言うより、そのお寺の本堂の中にいるような感覚で、必ずしも敬虔な仏教徒ではありませんが、自然と手を合わせて心静めて拝観させていただきました。-合掌です。
因みに、この特別展は9月20日まで開かれています。

 さて、時間をかけて見終わり、展示室を出たところにあるミュージアム・カフェで、暫し余韻に浸り休憩です。
家内のオーダーした涼やかなトコロテンをいただいてから、さて、大手町にいる(筈の)娘たちからのプレゼント購入の待ち合わせ指定場所は、何故か新宿高島屋のルイ・ヴィトンだと・・・。えっ、なんで?

 因みに、三越って三井越後屋がその由来なんですね。知らなかったなぁ・・・と、日本橋三越を横目に、「暑いネ!」という家内に、御仏のご加護を受けた私メは、「そなことありまへん、心頭滅却すれば猛暑も涼しおす!」と神田駅まで歩き、新宿へと向かいました。

 平城京遷都1300年を記念するイベントが地元奈良だけではなく各地でも開かれているようで、今回は日本橋の三井記念美術館で開催中の特別展『奈良の古寺と仏像 “會津八一のうたにのせて”』を見に行きました。

 オルセー美術館の引越展とどちらにしようか迷った末、オルセーは何度かパリの本館で見ていることもありますし、大手町で研修中の娘達と終了後待ち合わせて、昇進祝のご指定のプレゼントを買うために銀座へでも行くのに都合が良いこともあり、日本橋にした次第。
と、それ以上に、半年ほど前に直接お話を伺った、奈良国立博物館の学芸部長である西山厚先生の「奈良時代は、いい国を創ろうとした日本の“青春時代”である」という発言をお聞きして以来、今までと違う、そういう目で“若々しい奈良”を一度見てみたいという思いがありました。

 ただ、京都で学生時代を過した身としては、“やはり野に置け蓮華草”ならぬ、本来は“やっぱり、お寺におわす仏たち”という気がしないでもありませんが、こうした機会に奈良に行かずとも、一堂に会する仏さまを(しかも来たついでの東京で)拝観させていただけるのは大変有難いことです。

 三井記念美術館は、新宿からですと神田で銀座線に乗換え、三越前下車徒歩1分。歩くのが嫌いな我が奥様向けです。

自体が重要文化財という重厚な三井本館の7階に美術館があり、100点近い仏像を中心とした奈良のお寺の展示品が、会津八一がそれぞれの縁の寺で詠んだ短歌と一緒に展示されていて、その歌から、斑鳩や飛鳥の里が想い出され、まるでその場にいるような雰囲気を感じながらのひと時でした。
特別展のポスターに、夢違観音の写真と一緒に添えられた會津八一の短歌。

『あおによし ならやまこえてさかるとも ゆめにしみえこ わかくさのやま』

ふっくらとした芝山と鴟尾を載せた大仏殿の大きな甍が目に浮かびます。

*些か長文になりましたので、2回に分けて掲載します

 全国的には大したニュースにもならなかったと思いますし、甲子園やTV中継される大会でもないので、県内でもそれほどの騒ぎになった風もありません・・・が、ウィンタースポーツを除けば、佐久長聖高の駅伝くらいしか全国レベルの競技が無い長野県の高校スポーツ界にとって(特に球技での)、これって快挙!です。

・・・と、最初に一人勝手に興奮した上で、
インターハイの男子バスケットボールで、茅野市にある東海大三高校がベスト4になりました。
バスケットでは、男女とも同校が出場していますが、特に男子は、これまで1回戦を勝てば良い方、というのが正直なところ。
準決勝で負けた相手には、高校男子バスケット界で最近流行りのセネガルからの留学生(注記)もおり、また準々決勝では高校バスケット界の雄、能代工を大差で破っての進出であり、結局ベスト4止まりとは言え、バスケットでは不毛の長野県内(嘗て=大昔は男子では北原、女史では青沼という日本代表選手もいましたが)では、もっと大騒ぎしてでも祝福されるべき偉業でしょう。
       
 よぉし、続けぇ松工!
(って、やや関連付けが強引ながら、県民としては期待してまーす)
 
・・・と、それが、よりによって今日の開幕第一試合を引いてしまいました。
しかし、地元紙の「甲子園便り」によれば、初出場の松工の選手たちは、開会式直後の大観衆の中で試合できることを喜んでいるとか。その意気やヨシ!
緊張するなと言う方が無理でしょうが、どうか悔いの無い試合をして、一生の思い出を刻んで欲しいと思います。
そして、その松工・柿田投手には、プロ野球9球団が関心を示しているそうですが、直ぐにはプロ入りせず、大学や社会人へ進んで経験を積んだ方が良いかもしれません。但し、(素人ながら)個人的には、今やオリックスの若きエースとなった金子投手(長野商業高出身)の高校時代よりも上(将来の伸び代は)だと思います。
投手一人で野球をする訳では勿論ありませんが、こうした将来性豊かなピッチャーには、是非全国の桧舞台で3試合くらいは投げさせてあげたいですね。

 頑張れ、松工!頑張れ、柿田!
(初出場で、地元松本からは何とバス75台!が応援に向かっているそうです)

【注記】
東海大三のチームには、191cmのセンターでポイントゲッターでもあったバランスキー選手もいましたが、彼のご両親は長野市在住で宣教師をされているとのことで、他チームのような留学生ではありません。
また、球技としては、嘗ては県立岡谷工高の男子バレー部が全国を何度も制していますが、県の方針が変わり、その指導者も私立高(創造学園)へ異動してしまいました(インターハイにも出場しましたが、全国を制するにはもう少し時間がかかりそうです)。

【追記】
8月7日。長野県民、全国最短の夏・・・。
今年の夏は短すぎ・・・!
【追記その2】
あれだけ序盤で点を取られれば、その流れを変えるために投手を交代させるのは分かります。しかし、県大会を延長戦3試合含め、一人で投げ抜いて、チームを初めて甲子園に導いたエースでしょうが。しかも将来性があるんだったら、次に繋がるように、せめて9回の1イニングだけでも、マウンドに戻してやれヨッ!・・・って思ったのは、私ひとりだけでしょうか?

 今回は日帰りですが、上の娘たちの昇進祝をするために、家内と二人で7月下旬の土曜日に東京に出かけました。

 彼らは夕方まで大手町で研修会があると言いますし、次女は卒業旅行費用捻出のために最後の夏休みのバイトとのこと。

 彼らと会う夕刻までぽっかり時間が空いたことから、昼前に新宿に到着し、先ずは第303話でご紹介した「ご利益のあった」神田の柳森神社と、同境内の「おたぬき様」に、夫婦揃ってお礼のお参りに行きました。

 しかし、東京は暑いですなぁ・・・。

 秋葉原で降りて、神田川に架かる小さな「ふれあい橋」を渡ると、川端に佇む「柳森神社」の小さな境内が見えて来ます。
 ちょうど昼時の暑さのためか、前回の早朝での参拝時には、何匹もたむろしていて一緒にお参りしてくれたネコさん達は不在でしたが、娘達のそれぞれのご利益に感謝して、拝殿とタヌキ地蔵それぞれに、娘たちに代わって家内と二人でお礼のお参りをしました。
 その後、後述の美術館を見てから、夕刻長女たちと待ち合わせてのお祝いのプレゼント購入、そしてバイトが終わった次女も合流してのお祝いの夕食会。

 まだむんむんとした蒸し暑さが残る新宿を夜の9時過ぎの高速バスに乗り、松本ターミナルへ着いたのは夜の12時半。バスから降りた瞬間、
「いやぁ、涼しいなぁ!」

 昼間の気温では、松本も33℃を超えているかと思いますが、夜のこの違い。
「やっぱり、松本はイイなぁ・・・。」
と、東京に比べれば何も無い田舎街かもしれませんが、喜び勇んでチロルの待つ我が家へと向かいました。

 豪雨の梅雨が明けてから、連日の猛暑が日本列島を襲っています。

 今年は、信州でも、最南端とは言え南信濃村で37℃を超えるなど異常な暑さです。日本の真夏の暑さは、へたをすると熱帯のシンガポールよりも暑いかもしれません。
そして、ここ松本でも7月27日は遂に35.8℃を記録する猛暑日となりました。
しかし、松本ですよ、信州ですヨ!もう、信じられなぁい!と叫びたくなりますね。
その後も松本では、最高気温33~34℃の真夏日が連日続いています。
因みに最低気温は20~22℃ですので、日格差は10数℃。

 この朝晩が涼しい寒暖の差が、リンゴなどの果樹栽培に向いているのですが、一方で、長野県の中部から山梨にかけての地域は、全国でも有数の日照時間が長い場所。南アルプスの麓である北杜市の中央道沿いには、各社の太陽電池パネルの実験施設が作られているほどです。
それだけ、年間の降水量が少ないのですが、松本でもとりわけ岡田地区は水利が無く、江戸時代に多くの溜池が造られています。

 梅雨明け後の晴天続きで、日照りが心配になるほどで、そろそろブドウやリンゴにも潅水しないといけないかなぁと案じていましたが、29日、本当に久し振りに雨が降ってくれました。恵みの雨です。たった1ミリの降水量(0.1ml=01立方cm)でも1アール当り100リットルの潅水をしたのと同じことなのですから、果樹だけでなく、庭木や芝生などもホッと一息ついたことでしょう。自然の偉大さに感謝の雨でした。

そうは言っても大分乾いているようだったので、8月1日の日曜日、ブドウ(巨峰)に潅水をしました。
すると、昨日、夕刻松本駅に着くと地面が濡れています。何と、夕方大雨警報が出るほどのものすごい夕立ちだったとか・・・。やれやれ、でもお湿りにはなりました。

 最近、朝の散歩の途中で見かけた野山の草花など。

 ヤブカンゾウ。漢字だと藪菅草と書く、ユリ科の多年草。
この時期、田んぼの畦道や、道端などでオレンジ色の花を咲かせています。
小学生時代の夏の通学路。白い入道雲と青い空、そして、その下で咲くヤブカンゾウの橙色が、私にとっての“夏の色彩”と言った印象が残ります。

 そして、川端などに咲いていたネムの木。ふわふわした薄いピンク色が印象的です。
 また、民家の石垣を被う野生の木苺。今の子供たちは誰も見向きもしないのでしょうね。

最後に、最近では珍しく、畑に植えられていた「ホウキ草」。昔はどこの家にも植えられていて、庭用の掃き箒にしたものです。